「歩けなくなったら困る」——多くの方がそうおっしゃいます。でも、何がどう困るのかを具体的に考えたことはあるでしょうか。理学療法士として現場で見てきたかぎり、歩けなくなって本当に困るのは、足ではありません。困るのは、その人の暮らしそのものです。この記事では、歩けることが大切な4つの理由を、データとともに整理します。
まず、人生の最後の「約10年」の話から
平均寿命は、男性が約81歳、女性が約87歳。よく知られた数字です。いっぽうで健康寿命という数字があります。これは「介護を受けたり寝たきりになったりせず、自分のことを自分でできる年齢」のこと。男性が約73歳、女性が約75歳です。
差を取ってみてください。男性でおよそ9年、女性でおよそ12年。この年数が意味しているのは、人生の最後の10年前後を、誰かの助けを借りて過ごしているということです。
これは脅すための数字ではありません。この10年は、短くできるからです。そして、その答えのいちばん近くにあるのが「歩けること」なのです。
歩けることが大切な4つの理由
理由1 歩けなくなるのは、ある日ではなく「坂道」
こんな数字があります。1週間、寝て過ごすだけで、筋力はおよそ10%落ちるといわれています。風邪で寝込んだ、腰を痛めて動かなかった、入院した——それだけで、これだけ落ちます。
そして怖いのは、落ちるのは早いのに、戻すのはゆっくりだということ。1週間で落ちたぶんを取り戻すのに、数週間から数か月かかることがあります。
ですから「歩けなくなる」は、ある日ガクンと来るものではありません。少し歩かなくなる→筋肉が落ちる→動くのがおっくうになる→もっと歩かなくなる。この繰り返しで、ゆるやかな坂道を下っていくのです。逆に言えば、どこかで坂を緩められるということでもあります。
理由2 歩ける距離が、暮らせる範囲を決める
歩く力が落ちたとき、いちばん最初に起きることは何だと思いますか。転ぶことではありません。「行ける場所が減ること」です。
駅まではきついからやめておこう。あの坂の上の友人宅はまた今度に。——そうやって行動範囲がじわじわ狭くなります。高齢者の健康を考えるうえで「閉じこもり」という言葉があり、外出が週に1回を下回る状態を指します。
閉じこもりになると、体力が落ちるだけではありません。会う人が減り、話す機会が減ります。人と話さなくなれば、口の力も頭の働きも落ちていく。買い物も、病院も、友人との時間も、暮らしの大半は玄関の外にあります。足の問題は、そのまま生活の問題なのです。
理由3 歩くことは、脳を守っている
意外に思われるかもしれませんが、足の衰えと脳の衰えは並んで進みます。歩くという動作は、思っている以上に頭を使います。段差を見て、避けて、バランスを取って、人をよける——同時にいくつものことを処理しているのです。
2020年に医学誌ランセットで発表された報告では、認知症のリスクのうち、およそ40%は生活習慣で変えられるとされています。6割は年齢や遺伝などどうにもならない部分ですが、4割はこちら側の問題。その中に運動不足がはっきり入っています。
また、歩く速さがゆっくりになることは、かなり早い時期のサインとして知られています。「最近、信号を渡りきるのがぎりぎり」——それは足だけの話ではないかもしれません。
理由4 歩けることは、自分で決められること
横断歩道の信号は、1秒に1メートル歩ける人を基準に時間が決められています。渡りきれないということは、その道の向こう側が、自分の生活圏から外れるということです。
歩けなくなると、こういうことが起きます。自分でトイレに行けなくなる。自分で買うものを選べなくなる。会いたい人に、会いに行けなくなる。
自立という言葉は難しく聞こえますが、要するに「行き先を自分で決められること」です。歩けることは、選べることなのです。
いまの自分を、3つで測る
道具はいりません。今日この場で確かめられます。
- 横断歩道:青のうちに渡りきれるか(ぎりぎり・点滅してしまう方は要注意)
- 片足立ち:目を開けたまま20秒立てるか(必ず支えのある場所で)
- 階段:手すりを使わずに上がれるか
当てはまった方、落ち込まないでください。これは全部、鍛えれば戻せるものです。むしろ気づけたことのほうが大きい。気づかないまま坂を下るのが、いちばん困ります。
筋肉は30代から減る。でも、いつからでも遅くない
筋肉の量は30歳前後をピークに、年に1%ほどずつ減っていきます。40代では気づきません。50代で「疲れやすくなった」と感じ始め、60代で歩幅が狭くなり、70代で歩く速さが落ち、80代で外出が減る。気づいたときには、かなり下っているのです。
だからこそ「まだ元気だから」という時期に、いちばん差がつきます。ただし——坂は途中からでも緩められます。90代の方でもトレーニングによって筋肉が増えたという報告があります。 何歳からでも、体は応えてくれます。
今日からできる、いちばん小さな一歩
目的地を、ひとつ決める
「歩きましょう」だと続きません。でも「郵便局まで行く」「あのパン屋まで行く」なら、人は歩けます。行き先があるほうが、足は動きます。
歩数は、増やさなくていい
まずは、いまの歩数を来月も保つこと。年齢を考えれば、維持できていればそれは立派な前進です。
まとめ
- 歩けなくなるのは、ある日ではなく坂道
- 歩ける距離が、暮らせる範囲を決める
- 歩くことは、脳を守っている
- 歩けることは、自分で決められること
私たちが守っているのは、足ではありません。暮らしそのものです。 介護予防というと地味で面倒に聞こえますが、中身は「行きたいところに、自分の足で行ける時間を伸ばす」という、それだけのことなのです。
※ご注意
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。記事内のセルフチェックは診断ではありません。片足立ちは、必ず椅子や壁など支えのある場所で行ってください。
具体的な方法は、こちらの記事で
「では何をすればいいのか」については、一生歩くためのモーニングルーティンと朝の6分半でできる朝活体操8種で具体的にお話ししています。あわせてご覧ください。
出典:厚生労働省「平均寿命と健康寿命」(2019年)/厚生労働省 国民生活基礎調査/Livingston G, et al. Lancet 2020/厚生労働省 e-ヘルスネット

コメント